仮性包茎の見分け方

仮性包茎の見分け方

仮性包茎の見分け方|普通のチンコとの決定的な違いとは

普通のチンコと仮性包茎の決定的な違いとはこんにちは。茎太郎です。

今回は、仮性包茎の見分け方について書いてみたいと思います。

とても大事なので、仮性包茎に興味がある人だけでなく、仮性包茎に興味がない人にも読んでもらいたいですね。

ご存知のように、包茎には大きく3つのタイプがあります。

そのうちの一つが仮性包茎なのですが、他の包茎と比べたとき「普通のチンコに一番近い」というのが、仮性包茎の持つ大きな特徴の1つです。

仮性包茎は何の支障もなく露茎できる

「普通のチンコに1番近い」と書きましたが、仮性包茎は皮を剥いて露茎(亀頭がズルムケ状態)することに、何の支障もありません。

真性包茎は、そもそも包皮の入り口が小さすぎて露茎できませんし、頑張れば露茎できるカントン包茎であっても、エレクトサイズのペニスの直径よりは包皮口が狭いため、剥いた状態で勃起してしまうと、チンコが包皮口の中で締め付けられ、とんでもない激痛が走ります。

要は、仮性包茎は、何の支障もなく包皮反転(露茎)できて、その状態で勃起しても何の問題もない状態のこと。

この点は、常時ズルムケの普通のチンコと同じですよね。

仮性包茎は何の支障もなく露茎できるのです。

仮性包茎は医学的には「包茎」に含まれない

そんなことから、医学的に言うと、仮性包茎は包茎の一種とはみなされていないみたいです。

医学的な包茎は、「陰茎の亀頭が皮に覆われていて露出できない、もしくは露出に問題が伴う状態」のこと。

つまり、お医者さんの立場で言うと、包茎とは「真性包茎」と「カントン包茎」のことで、仮性包茎を含んでいないということになります。

不思議ですよね。包茎の範疇外なのに、「仮性包茎」という名前がついているのは何故なのか。

そこら辺については、後述させてもらいたいと思います。

仮性包茎の程度は「重度」から「軽度」まで様々

仮性包茎は、その気になれば(亀頭に被っている包皮を手で引っ張れば)、露茎出来る状態のこと。

もちろん、仮性包茎の度合いも様々です。

皮がめっちゃ余って「ドリルチンコ」状態になっているペニスもあれば、自然にしてても(非勃起時に手で剥かなくても)亀頭の半分近くは露茎出来ているペニスもある。

一般的に、前者は「重度の仮性包茎」、後者は「軽度の仮性包茎」と呼ばれています。

いずれにしても、仮性包茎は自分で包皮を剥くことが可能で、亀頭に付着している恥垢や雑菌を取り除き、亀頭を清潔に保つことができる以上、健康上の大きな問題は特になさそうですよね。

にもかかわらず、なんで毎年数えきれないほど多くの人が仮性包茎の手術を受けるのか。

そもそも、医学的には包茎にカウントされないのに、何故「仮性包茎」という名前で認知されているのか。

多くの人が仮性包茎を手術で治す理由

まずは、毎年数えきれないほど多くの人が仮性包茎の手術を受けている理由について。

これは一言で言うと「仮性包茎であることが嫌だから」に尽きると思います。

「仮性包茎であることが嫌」 → 「仮性包茎を治したい」 → 「仮性包茎手術をする」という流れですね。

では、「仮性包茎であることがなぜ嫌なのか」ですが、これは「仮性包茎が男のコンプレックスとして広く認知されているから」ということに帰結すると思います。

「皮被りは恥ずかしい」というイメージを多くの男性が持っているので、自分はその対象として見られたくない。

だから手術してでも治すということにつながってくる。

「コンプレックスだから。」

これが、多くの人が仮性包茎を手術で治す理由だと思います。

包茎ではないのに「仮性包茎」と呼ばれるのはなぜか

それから、包茎ではないのに「仮性包茎と呼ばれるのはなぜか」について。

医学的に「包茎」とされているのは、「真性包茎」と「カントン包茎」の2つです。

治す必要性があるから、医学的に「包茎」と認定されているのでしょう。

でも、いつしか世間的な認識の中に「仮性包茎」が追加されてしまっている。

医学的には言及されていないわけだから、健康的な視点で見ると「手術して治さないと不都合がある」レベルではないことがわかります。

これは普通に考えて、何らかの理由で「皮被りは恥ずかしい」というイメージが世の中に定着して、いつしか「仮性包茎」という概念が作りだされたと推測されます。

コンプレックスは解消したいと望むのが人の性(サガ)なので、仮性包茎を手術で治す人が多いのはごく自然な流れだと、茎太郎は思います。

コンプレックス産業は「悪」なのか

人の外見的な劣等感を解決し、それに対する対価を得るサービスがあります。

人のニーズがあって、それを解消するわけだから、れっきとしたサービスです。

にもかかわらず、そうした団体は一部で「コンプレックス産業」と揶揄されたりもします。

「人の弱みに付け込んでお金儲けをして」という論理なのでしょう。

人様のコンプレックスを解消することを生業(商売)とする行為は糾弾されるべきなのでしょうか。

日本には思想良心の自由もありますし、言論の自由もありますので、ここからは茎太郎の思ったままを書かせてもらいます。

本人が治したいと思うサービスの存在は価値がある

「仮性包茎」から一度離れて、コンプレックスと呼ばれるもの、他に何があるのか考えてみます。

  • 薄毛
  • 一重まぶた
  • 肥満
  • 低身長
  • 低学歴
  • 低収入

などなど。

これらを見て茎太郎が思うことは、本人が「コンプレックスだと感じていること」が前提の上で、治せるものは治せばいいし、そのサービスを提供している産業はとても価値のある存在だと考えます。

例えば、低身長は成長期を終えていれば治しようがありませんが、「肥満」は治すことができますので、それをサポートする企業は価値がありますし、「一重瞼」が気になる人にとって、それを治してくれる美容整形産業は、ありがたい存在のはずです。

あくまでも「治したい」という本人の気持ちが全てなので、気にならなければ放置すればいいだけの話です。

低学歴が気になるのであれば、大学に入りなおせばいいですし、低収入が気になるのであれば、頑張って給料の高い会社に転職すればいいだけの話。

それを解決する術がないのが一番の不幸だと、茎太郎は思うわけです。

包茎手術批判について思うこと

なので、仮性包茎手術が「コンプレックス産業」だと批判されることには、茎太郎は賛同できません。

治したいと思っている人に対して、その手段を提供している行為自体に、何ら責められるいわれはないからです。

ただし、包茎手術患者から、料金表に書かれていない法外に高い医療費をむしり取る、包茎手術詐欺事件は、とても悪質だし糾弾されるべきだと思います。

そうした悪徳業者は、真面目に運営している他の包茎クリニックの評判も貶める極めて悪質な行為ですので、ちゃんと罰則を加えてほしいと強く思います。

ただし、そうした悪質な業者の存在を盾に、包茎手術を提供しているクリニック全体が批判的に見られるのは、全く筋違いだと茎太郎は思います。

私自身、包茎手術を受けているので、包茎クリニックのありがたさは身に染みて理解しているつもりです。

参考:管理人(茎太郎)自身の包茎手術体験記が読みたい方はこちらから

仮性包茎手術は必要なのか不要なのか

最後になりましたが、仮性包茎手術の必要性について書いてみたいと思います。

医学的には「包茎」に含まれない仮性包茎。

包茎には含まれないということは、医者の立場から言うと「仮性包茎」は手術の必要性はないとも言えます。

なので、あとは「皮を被っている」本人が、その状態を気にするかどうかが全てだという結論になります。

コンプレックスをことさら煽るのは問題だという人もいて、それも一理あるでしょう。

私自身、「ハゲ」にも「チビ」にも該当するため、こうした用語をお笑い芸人とかが「テレビ」で面白おかしくネタにしている様子を良い状態とは思いません。

ただ、それを治す術の提供行為自体は、とても必要な存在ですし、それを否定してしまうと、資本主義(人から望まれる付加価値を提供して対価を受け取る仕組み)そのものが存在し得なくなると思うわけです。

長々と書きましたが、「自分の手で剥ける皮被り」のことを仮性包茎といいますし、ズル剥けチンコとの決定的な違いは、手で剥くか、何もせずとも剥けているかの違いで、手術をするかどうかは、本人が気になるかどうか、手術してでも治したいかどうかにかかっていると思います。

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