仮性包茎を許せなくなったある出来事

仮性包茎を許せなくなったある出来事

仮性包茎を許せなくなったある出来事

仮性包茎であることが耐えられない先ほどは、仮性包茎であり続けるということはどういうことかについてしゃべりましたが、ちょっとドンヨリなりすぎましたかね、、

それぐらい、僕にとって仮性包茎であることは不快なことだったのです。

少し昔にさかのぼりますが、自分が仮性包茎であることを許せなくなったある出来事があったのですが、そのことについてしゃべってみたいと思います。

ちなみに、ここ含め数ページにわたって僕の仮性包茎手術体験記について書いていますが、それよりも仮性包茎の治し方について興味がある人は、茎太郎さんが仮性包茎の治し方について下記にまとめているので、そちらを先に読んでもらっても構いません。

それでは、話を元に戻しますね。
仮性包茎を許せなくなった過去のある出来事について話してみたいと思います。

仮性包茎の友達がいじめを受けた

僕は以前静岡に住んでいたのですが、中学高校と仲良くしていた啓介って友達がいました。

啓介は僕と同じ仮性包茎でした。

あるとき啓介は友達と泊まりで合宿というか旅行に行ったのですが、
旅行中風呂に入るときに、啓介が仮性包茎であることがばれてしまったのです。

次の日から啓介についたあだ名は

「皮チン」でした。

男女共学だったので、さすがに包茎野郎とは呼ばれませんでしたが、
感の良い女の子であれば、皮チンで”ピン”ときたのではと思います。

正直頭にきました。啓介に「あんなの気にするなよ」

っていった後、言ってる奴らに「くだらないからそんなこと言うのやめろ」

って言いに行きましたが、「うるせーな。健太お前も仮性なんじゃねーの?

って言われて、「そんなわけねーだろ、、」って力なく言って戻ってきました。

これが、自分が仮性包茎であることを許せなくなった出来事でした。

そんなことで、友達を傷つけるクラスメートも許せませんでしたが
同時に自分が何で仮性包茎なんだろうと、そのこと自体許せない気持ち
でいっぱいでした。

結局高校卒業するまで、啓介は「皮チン」とか「皮皮」とかバカにされたようなあだ名で呼び続けられ、そのことが原因なのか、啓介は次第に暗い性格になっていきました。

修学旅行を欠席

行きたかった修学旅行、、そんな出来事があったこともあり、
僕自身は絶対に自分が仮性包茎だってことを、
絶対にばれるわけにはいかなく
なりました。

仮性包茎じゃないと友達に言い放った以上
もしばれてたら、その冷やかしの数は啓介の比ではなかったと思います。

僕はクラスの連中の前で裸になる可能性のあるイベントは全て避けました。

その代表格が修学旅行でした。

修学旅行といえば大浴場での友達との混浴。
裸見られる危険性がとても高いイベントです。
タオル巻いたからといって、冗談で剥ぎ取られる可能性も少なからずあると思いました。

修学旅行先は沖縄でした。
とても行きたかったですが、仕方ありません。

「体調不良なので残念ですが、明日は休みます」
と学校に電話したのを覚えています。

修学旅行終了後、教室内で旅行の思い出話で盛り上がっているのをみるにつけ、心が苦しくなる思いがしました。

高校卒業後も仮性包茎

高校卒業後、僕は都内の大学に進学しました。
でも、結局大学在学中もずっと仮性包茎のままでした。

あれほど仮性包茎であることで悔しい思いをしたのにもかかわらず、、

もちろん大学生活中にも仮性包茎が自力で治らないものかとあらゆる努力はしました。

でも、いくら包皮を剥いて亀頭を露出する時間を長くしても、
テープや絆創膏のようなもので包皮を固定しても、剥き癖がつくどころか
手で剥いてもすぐに元に戻ってしまう状態に何の変化もありませんでした。

相変わらず、恥垢もたまりやすくすぐ嫌な臭いがするので、
トイレの時も、オシッコのしずくがつかないように、毎回剥いてから放尿するようにしていました。

自力で治らなかった仮性包茎。
でも、後一歩が踏み出せず、手術に踏み切れなかったのは、
年を重ねるごとに、周りの人との距離感が少しずつ遠くなってきたからかもしれません。

事実、大学時代、卒業後の社会人時代に「包茎」について友達や同僚と話したことは一度もありませんでした。

大学時代も彼女はいなかったし、そうこうしているうちに社会人になってしまいました。

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